不安でタイムラインから目を離せない「ドゥームスクローリング」に注意する

新しいニュースがないかとツイッターをながめ、ツイッターが終わったら今度はFacebookのタイムラインを追い、それが終わったらInstagramと終わりなくスマートフォンでスクロールしてしまうことがないでしょうか。

親指が同じ動作につかれてもやめることはできません。またツイッターに戻って、すでに大半の話題は何度も見ているはずなのに、なにか新しい情報はないか、気持ちを落ち着かせてくれる新しいなにかがないか、延々とスクロールを続けてしまう。

このように、病的なまでにSNSのタイムラインから目を離すことができないという体験談はとくに今年のパンデミックが始まった頃から数多く見かけるようになり、欧米ではこれに名前まで与えられています。

“Doomscrolling”、つまり “Doom” 「絶望」のスクロールというわけです。

たとえば新型コロナウィルスの感染拡大に歯止めが効かなくなる可能性が高まった4月頃には、タイムラインを見ているだけでおそらくは Doomscrolling をしているのだろうと思われるかたが大勢いました。

どんな小さいニュースであっても逃さず、すべての仮説、学説、考え方に至るまですべてをにRTしたり、言及している人がそれです。その時点では不確定さが大きすぎて結論が出せないことであっても激しい議論がオンラインでやりとりされているのもよくみかけました。

逆に心配しすぎたためか気持ちが反転して「そんなに重大であるはずがない。みんな何を騒いでいるのだ」と、わざわざ心配している人の投稿にコメントしにゆくひともいましたが、言葉の端々からは緊張と不安が読み取れるのでした。

わたしは何もそうした人々を揶揄しているわけではありません。わたしもまた、確実にそうした人の一人だったのですから。そしてある程度は、誰もが次から次へとやってくる不確定さの高い情報に不安と絶望を感じていたのではないかと思います。

偏りのある確信を抱かないようにすることが大切

Doomscrolling は不安ばかりを煽るメディアのせいだというひともいれば、私たちを情報の流れのなかに釘付けにする SNS のせいだという人もいます。

しかし不安な情報に注目し、目を離せないという行動はある程度は人間の自己防衛本能からくる自然なものです。しかし程度次第では、それは当人の心理的なバランスを損なうものでもあります。

Doomscrolling Is Slowly Eroding Your Mental Health | Wired

Wired のこの記事では、Harvard’s T. H. Chan School of Public Health の研究者、Mesfin Bekalu氏の言葉として次のような説明をしています。

“as humans we have a ‘natural’ tendency to pay more attention to negative news. (中略) Since the 1970s, we know of the ‘mean world syndrome’—the belief that the world is a more dangerous place to live in than it actually is—as a result of long-term exposure to violence-related content on television. So, doomscrolling can lead to the same long-term effects on mental health unless we mount interventions that address users’ behaviors and guide the design of social media platforms in ways that improve mental health and well-being.”

「わたしたちはネガティブなニュースに注目するという性質をもともともっています。たとえば暴力的な題材を常にテレビから与えられていると、実際にそうであるよりも世界が危険な場所であるという偏りのある確信を持ってしまうという「ミーンワールド症候群」が1970年代から知られていますが、それと同じような長期間影響を与える精神的な悪影響をドゥームスクローリングから受ける可能性があります。ソーシャルメディアプラットフォームがユーザーのそうした行動やメンタルヘルスと向上させる施策をとらないかぎりは。

ただし、逆のドゥームスクローリングも存在します。あまりにネガティブなニュースに触れているために、逆にそこから切り離されるための体験を求めて、まったく関係のない話題を追い求める行動もあるのです。

上の記事では、現在も続いている Black Lives Matter 運動についての情報をタイムラインで追いかける人もいれば、その情報があまりに当人にとってリアルすぎて、自分自身がなんども画面の中で殺害されてしまう感覚から自分を切りほどくためにスクロールをするという人の話題も紹介しています。

つまり大切なのは、「世界がすべて悪い方向に向かっているはずだ」「誰かが重要な情報を隠しているはずだ」「誰かが愚かであったり、悪意をもって行動しているからこうなっているはずだ」といった、根拠のない偏った確信が心に根付くことを避けることにあるといえます。

これは意見をもってはいけないということと等価ではありません。特に新型コロナウィルスの情報については顕著なように、何が正解で、どのような未来になるのかという結論が出せないものについては、意見は意見としてもったまま、結論を宙に浮かせて静止させるという離れ業が必要なときもあるということです。自分の精神状態を守るためにです。

私自身、1月から4月にかけての自分の情報摂取のしかたや、投稿の仕方には多分に Doomscrolling をしていた自覚があります。それ自体は悪いことではなく、その自覚が、どこかで私の正気を守ってくれていたのです。

世界はまだこれからどうなるかわかりません。結論はまだまだ見えません。これからも、膨大な不確定な情報を前にして、恐怖をどこかで感じながら親指はタイムラインをスクロールしている日が来るかもしれません。

だからあらかじめどこかで意識しておきましょう。恐怖を感じるのは自然なことで、未来がどうなるかという結論がでないことも仕方のないことですが、恐怖が心を乗っ取ってしまうことがないようにだけ注意すべきだということを。

結論を出すべきときになって、正確な状況把握ができなくなっていたら、心の中の不吉な予言は最悪の形で現実になってしまうからです。

堀 E. 正岳(Masatake E. Hori)
2011年アルファブロガー・アワード受賞。ScanSnapアンバサダー。ブログLifehacking.jp管理人。著書に「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOKAWA)など多数。理学博士。